大正生まれのおひとりさまだった大叔母の最後について書こうと思います
タイトルの通り大正生まれの生涯独身だった大叔母が昨年、亡くなったのでその時のことについて書こうと思います。
ここに書いた大叔母に関する金銭など色々なことが自分の人生の今後を考える参考になったのでどなたかにも参考になればと思います。
大正生まれ90代のおひとりさまだった大叔母について
大叔母は(祖父の妹)は大正生まれですが、生涯独身でした。(瀬戸内寂聴さんと同年代)
祖父はもう15年ぐらい前に他界しています。
大叔母は私たち親戚から近い都内に一人暮らしをしていました。
一人暮らしをしている途中で認知症を発症していたようで、近所の人から私の伯父に連絡があり、伯父と親戚の後見人の方が老人ホームを手配してその大叔母を老人ホームに入居させました。
一番付き合いがあった私たち親戚の家から近いところの老人ホームに大叔母は入居しました。
その老人ホームに入ってから大叔母が亡くなるまで8年ぐらい経っていました。
大叔母は私たち親戚の家から近いところに住んでいたので昔からたまに祖父母を訪ねてきていました。
ですので私が子供のころからその大叔母と私たち親戚は多少の付き合いはありました。
私は母親と伯父と数年前にその老人ホームに大叔母を訪ねていったことがあるのですが、私たちのことは誰なのかよくわかっていないようでした。
伯父のことは違う親戚の人の名前で呼んでいました。
私の祖母はその大叔母が老人ホームに入った頃はまだ生きていて、大叔母がボケちゃったみたいと言っていましたが私の祖母のほうがその大叔母よりあっさり先に亡くなってしまいました。
大叔母は知り合いが誰なのかわからない状態なので私たち親戚もあまり大叔母を老人ホームに訪ねていくことはなくなってしまいました。
たまに伯父は老人ホームへ行っていたようですが、伯父は法律上でいくと後見人の立場ではなくて、別に後見人の人がいます。
ですから何かのときにはその後見人の方が手続きをしているようでした。
祖父が次男だったので次男の長男である伯父は後見人ではなく、祖父の兄(長男)の長男の方が大叔母の後見人になっていました。
でもその後見人の方は大叔母と生前ほとんど関わりがなかったようです。
大叔母が老人ホームでけが
大叔母は亡くなる2,3年前に老人ホームで転倒して大腿骨を骨折してしまったようでした。
手術をしたようで、その後は車いすになってしまったようです。
私も病院にいったのですが、子供連れだったので病室にはいけませんでした。
大叔母の死
そのけがから2,3年して大叔母は老人ホームで亡くなりました。
95歳を超えていたので大往生だと思います。
最後はご飯が食べられなくなって亡くなったそうです。
大叔母の葬儀
大叔母の葬儀は家族葬がメインで行われている小さい葬儀屋さんで行われました。
伯父と後見人の人で葬儀の手配したようでした。
私は遺体が安置されている部屋に行き、遺体と対面しました。
大叔母は葬儀屋の一室で棺桶に入っていましたがすぐ隣に見知らぬ人の棺桶があり、私は自分の祖父母と伯母の葬式ぐらいしか出たことがありませんでしたが、今までに見たことがないタイプの葬式でした。
伯父と後見人の方も70代でもう老人の域に入っているので、大叔母の葬儀に手間暇かけていられないのだろうということは感じました。
遺体が安置されていた葬儀屋で次の日に葬儀がされ出棺されて火葬場のほうへ行ったようでした。
私は用事があったので火葬が始まってからその火葬場に行ってお骨拾を拾いました。
大叔母の老人ホームの部屋を片付ける。遺品整理。
大叔母の遺体と対面した後に、大叔母の老人ホームの部屋に行きました。
遺品整理は葬儀屋さんから業者を紹介されたようで伯父が業者の方に頼んでようでした。
その前に一応、私たちで部屋に大事なものはないか確認しました。
葬儀屋からの紹介された業者では遺品整理は全部捨ててしまうやり方だと料金は5万円で写真や貴重品を分けてしてもらう場合は10万円ということでした。
部屋は8畳から10畳くらいあるトイレと洗面台付きの部屋でした。
使っていない冷蔵庫や電子レンジ、椅子があってなぜか使っていないベッドが折りたたんでおいてあったり部屋は広く物が多かったです。
乾電池が置いてあったのでもらったら8年前のものでとっくに使用期限が切れていました。
未使用の箱ティッシュなどももらいましたが結構前のもののようでした。
アルバムや手紙、卒業証書などもありました。
私たちは大叔母の孫でも子供でもないので誰も卒業証書に興味は持ちませんでした。
学校の卒業アルバムは以前私たちが老人ホームを訪れたときに大叔母が広げて話をしていました。
卒業アルバムを一度広げていたのでとっておく意味がないわけではないですが普通は滅多に開く機会はなさそうです。
大叔母がなくなった後部屋に行ったとき、子供がいない人が卒業証書やアルバムなどとっておいてもあまり意味がないのではないかと思いました。
でも本人がたまに広げて見ていたならもっている意味はあったと思います。
お琴や着付けのお免状など大叔母の一人暮らしの家から持ってきたと思われるものが結構ありました。
一人暮らしの家から老人ホームに移った時は伯父が言うには近所の商売をやっている人がやってくれたようですが
結構な金額をどさくさにまぎれて請求してもっていったようでした。
普段から老人ホームへの引っ越しや家の片付け費用などある程度の相場は知っておきべきではないかと思いました。
今は検索サイトもあるので法外な値段を請求してくるところはなさそうですが。
遺品整理の業者の方から大叔母の写真が数枚渡されたようです。
写りのいい写真が多くて、遺品整理の業者の方の仕事ぶりが適当ではないといういうことを私はその厳選された写真から感じました。
幾つかアクセサリーもあって、そのアクセサリーを私は幾つか母親からもらいました。
それが前のページの遺品の指輪などです。
大叔母の老人ホームの月額の支払い金額
大叔母は生涯独身でしたが、老人ホームのお金は全て本人の年金と貯金から支払われ、最後は遺産が残り、親族に遺産が渡りました。
大叔母のいた老人ホームは結構いいところだったようで月の支払いは21万円だったようです。
以前、従業員が問題を起こしたことがある会社が経営する老人ホームでしたが老人ホーム自体はきれいでよいところでした。
後に後見人の人が大叔母の金銭などについて詳細をまとめた紙をみせてもらったのですがそこに書いてありました。
大叔母は老人ホームに入った88歳のときに貯金が2000万円ぐらいあり、年金は月10万円とちょっともらっていたようです。
老人ホームには8年ぐらいいたようですが、その貯金と年金で老人ホームの支払いはされていたそうです。
最後亡くなった時には大叔母の貯金は1000万円ぐらいあったようでそれが親族に遺産として分割して渡されたようです。
大叔母が存命中、もしももっと長生きした場合、その貯金と年金では老人ホームの支払いが賄いきれなくなる恐れがあるのでその場合は、もっと安い老人ホームに移らなくてはいけない可能性もあると後見人の方が老人ホームか役所から言われたようです。
でも結局、貯金が残った状態で大叔母は亡くなりました。
大叔母は健康でした
大叔母は認知症ではありましたが、身体は丈夫だったようで、大腿骨を骨折した以外は病気もせず、保険証を全然使っていなかったと聞いてびっくりしました。
携帯電話が契約されたままでした
大叔母は認知症で老人ホームに入っていたにも関わらず、ずっと携帯電話が契約されていて亡くなるまで毎月代金が引き落とされていたようでした。
亡くなって初めてわかったようです。
もったいないと思いました。
それと何十年も前に親戚が勧めて入ったがん保険にずっと入ったままでそれも支払いがされていたようでした。
家族がいないので確認する人がおらず仕方がないことですが、もったいないと思いました、
大正生まれの大叔母が携帯電話を持っていたということに私は驚きました。
この一件をみても親の保険や携帯電話の契約は確認しておいたほうがよいと思います。
大叔母のお墓
大叔母は独身でしたが結局田舎のお墓に入ることとなりました。
後見人の方の父親が大叔母の兄(長男)なのでその後見人の方が納骨もしてくれたようでした。
大叔母の死をみて思ったこと
大叔母は生前、後見人となった甥の方(大叔母の兄【長男】の長男)とはほとんど付き合いがなかったようです。
うちの祖父は次男です。
でもたまたま住んでいたところが近かったことと大叔母と私の祖母が友達だったこともあり、私の祖父母と付き合いがありました。
だから祖父母の息子と娘であるうちの伯父、私の母親、孫である私たちともたまに会う機会がありました。
結局、祖父母の死後は何かにつけて大叔母に関することは甥である伯父と後見人の方が面倒をみていました。
後見人となった親戚の方はかなり迷惑だったのではないかと思います。
大叔母も認知症を患う前に何かの時にはお世話になりますと後見人となる方や私の伯父に挨拶しておくべきだったのではないかと思います。
そういった挨拶はなかったようです。
今となっては仕方のないことですが、やはり親戚に迷惑をかけてはいけないなと大叔母の最後をみて思いました。
お一人様の終活の必要性
1人で生活しているのなら物は最小限にし、お金に関してはわかるところに保管。
ずっと生活していた場所から老人ホームに移る場合、相当大変な引っ越しになるようです。
世話になりそうな親戚がいたらお金に関することもきちんと話をしておくことが大切だと感じました。